2012年1月18日水曜日

中古住宅という選択

直感で即決してしまった中軽井沢の家だが、何が決め手だったかと言われれば、
その土地に立って自分がそこに住んだことを想像してみたとき、心の中に
どれだけの広がり、可能性、豊かさを感じられたかということに尽きるような気がする。


購入した中軽井沢の中古住宅

建物自体は、昭和の終わりに建てられ、しかも夏仕様の別荘だったから、かなり手を入れなければいけないことは予想がついた。それでもシンプルながら、檜の床材、ヒバの壁材を使った自然素材の家で、 間取りも工夫次第でうまく変えられそうな予感があった。

土地代としては予算超過だったこの物件も、中古住宅を全面改装すれば新築ほどの費用はかからないだろうから、採算が取れる。いいリフォーム業者さえ見つかれば、きっと理想の家が建てられるのではないか。こう考えて、私たちは人生第2章の家づくりをスタートした。

しかし、当物件購入が5月の末で、実際に工事の契約にこぎ着いたのは11月に入ってから。思い通りの家をつくれそうと思える施工業者に出逢うまで、かなり時間がかかってしまった。

2012年1月17日火曜日

家の移り変わり

私たちは、これまで何回家を買ったり借りたりして引っ越してきたのだろう。
結婚と同時に購入した東京都大田区の中古マンションから始まり、板橋区の新築マンション、アメリカペンシルバニア州のタウンハウス2軒、そして現在の川崎市多摩区の新築マンションへと何回も引っ越しをしてきた。そして、初めて戸建を建てたのが、旧軽井沢の山の家だ。

昨年、今回が多分最後になるであろう「終の棲家」を建てようと土地を探しているうちに、中軽井沢の中古住宅に出合った。この家と周辺の環境を見て、新築の計画を中古住宅の全面リフォームに切り替えようと一晩で決心したことになる。

それまでに追分を中心にいくつかの別荘地を見てきたが、なかなかこれと思える土地に出合えないでいた。ひとつには、旧軽井沢の山の家から見る景色があまりに壮大で開けていたから、区画された平坦な四角い土地というものになかなか気持ちがスイッチできなかったせいだろう。山の家からの眺めは、軽井沢の街全体があたかも自分のものであるかのような錯覚を起こさせる気持ちよさだった。



山の家から見た初日の出



山の家では、外とも内ともつかない中間ゾーンであるテラスで、自然の風を感じながら朝のコーヒーを飲んだり、夕涼みをしながら星のまたたきを見上げたりするのが、私たち夫婦は何より好きだった。

でも、山の斜面に建つ家では、庭にできる平らな土地もほとんどなく、冬は山道が凍結して危険だし買い物にも便利とは言えず、終の棲家にはふさわしくないことは明らかだった。

結局この山の家は、昨夏、絵にかいたように素敵な若いファミリーがバラのお庭ごと気に入って買ってくださり、やはりこの家からの眺めの虜になって頻繁に通っていると聞いている。

中軽井沢の終の棲家は、実はこの山の家と、川崎の自宅マンションを足して2で割ったような間取りと雰囲気の家になる予定だ。私たちのふたつの家に対する愛着は、こうして新しい家に引き継がれることになる。

2012年1月14日土曜日

バラのブーケ

バラのことを書き始めたら、止まらなくなってしまった。

先日のフラワーアレンジメントの課題もバラのブーケだった。
バラの花首を短く切ってワイヤー処理をして束ねるブーケで、
オアシスを使わないから一日のはかない命だ。

それでも夜になると一晩たっぷりの水に朝まで浸して、もう3日も持たせている。



今回先生が用意してくださったピンクと赤紫のバラ、形もゴージャスで素敵だが、
赤紫の方は何と私の好きなダマスクモダンの香りが濃厚にするではないか!

切り花の品種にしては極めて珍しいけれど、ありとあらゆる形と色を
追及してきた切り花のトレンドも行きつくところまで行って、
これまで犠牲にしてきた香りを復活させているのだろうか。
花持ちもいいし、本当に優れたバラだ。

名前は、ドラマチックレイン?だったと思う。初めて出逢ったバラだ。

切り花ではあまり試したことがないので、成功するかわからないけれど、
挿し木にしてみた。


バラ会新年会

新年そうそう引いた風邪はウィルス性腸炎と言われ、思いのほか長引いてしまった。

でももうすっかり回復^^。今日は地元の所属バラ会の新年会に出席してきた。
鴨や牡蠣などの芸術的な日本料理の数々(おしゃべりばかりで思い出せない!)を
目で愛でて、舌で味わってきた。

このバラ会に入会して15年。
バラ会の行事を中心に私の一年のスケジュールが回り、
私の心の拠り所であり、生活の励みだったけれど、
軽井沢転居後は、残念ながらこれまで通りのかかわり方はできなくなる。
昨年秋から会のお仕事は会員の皆さんに分担していただき、
今日の新年会もニューメンバーが張り切って企画してくれた。
お客様気分で参加した私は、くじ引きで一等賞を引き当てる。
何と年初から幸先がいいこと!

1等賞のスウィートなバラの絵の時計

 参加者全員にはずれくじなし。賞がつかなかった人には、手作りの木製ラベル2枚。
 バラの名前を書いて、地面や鉢に挿すラベルだが、グリーンにペイントされた木のラベルに、
丁寧にもトールペイントで小さなバラの絵が描いてある。2人の合作だそうだ。
欲張りな私はそれも欲しかったわ~!

中軽井沢の新しい家ではまた一から庭づくりを始める。
旧軽井沢の山の家でも、ここ川崎市のマンションの専用庭でも、それぞれ制約があって、
思い切りバラ栽培ができたとは言いがたい。
今度こそ、広い平坦な土地で思う存分バラづくりができるだろうか…。

どうしてももう一度育てたいバラ、そして新しく育ててみたいバラ、ただ今検討中だ。

山の家のバラは、バラ会の尊敬する師匠がくださった白のシティー・オブ・ヨークと
赤のパーク・ディレクター・リガーズがメインのバラになった。


花壇左の白バラ シティーオブヨークとロサフィリペス
花壇右の赤バラはバロンジロードラン もう一度育てたい!


シティーオブヨーク

その師匠が嬉しいことに今度はスタンダードを分けてくださるとおっしゃる。
何色がいいですか?と聞かれ、私はやはり白か赤をお願いしますと答えた。
軽井沢の緑にはこの基本的な色が一番映える気がするからだ。


新しい庭づくり、未知の私の庭、まだ構想はまとまらないけれど、
軽井沢の自然に融け込む、少し和の雰囲気の落ち着いた庭にしたいと願っている。

2012年1月5日木曜日

新年の建築工事は明日から

子どもたちが帰ってから、どっと力が抜けたのか、昨日から風邪を引いて寝込んでしまった。

家づくりの方は着々と進んでいる。工事の再開は明日からだが、工務店さんからは、窓の位置決め、浴室のタイルの決定、キッチンの天板のサイズ決めなどについて、次々と連絡が入ってくる。 照明の配線図も確認しなくてはいけない。

設計図が出来上がるまでの最初の段階では、施主の思いや希望を工務店さんに伝えるのも真剣勝負で、ひとつのことが形になるのを見極めるまで気を抜けなかったが、少しずつお互いがわかってくるにつれて、コミュニケーションもスムーズになり、よい家をつくるためにお互いが協力者となっているのを感じる。ここをどれだけスムーズにできるかで、家づくりは違ってくると思う。

完成まであと数ヶ月。軽井沢はそろそろ雪の季節に入る。

2012年1月4日水曜日

家族の時間

今年は初めて娘のいない年越しをした。昨年12月に入籍、今年の春には結婚式を控えている娘。
大晦日、元旦を三重県の婿殿の実家で過ごし、2日の夕方に我が家に2人で来てくれた。
ぱっと家が華やぎ、プシケーも大騒ぎして2人を熱烈歓迎。
 
iphoneのアプリを使って
娘婿殿がさっと指でスケッチしてくれたPちゃん

大家族の中に入って、初めての「長男の嫁」を奮闘してきた娘、疲れがにじみ出ている。その娘を気遣って、何かと足りなさをカバーして回ってくれていたという婿殿。やさしくしてくれて感謝です。
2人の仲のよさを見ていると本当に幸せな気持ちになります。

でも軽井沢への引っ越しが近づくにつれ、ちょっとおセンチになり始めている私。
この家でのお正月もこれが最後なんだわ。25年近く子どもたちと過ごした家です。

3日の夜は、久々に娘がピアノを弾くと言いだし、それにつられて、息子もオーボエを持ち出してきた。2人とも久々のアンサンブルなので、昔みたいにはいかないけれど、それでも母は嬉しくて涙が出そうになる。かつて2人の音楽を聴きながら、子育ての苦労が報われる喜びを噛みしめていた気持ちが蘇ってくる…。

ピアノを弾く娘の横に寄り添って座ってくれている私たちの新しい家族……、我が家の歴史の新しいページが開かれました。

2012年1月1日日曜日

新年おめでとうございます




2011年は、東日本大震災と原発事故という私たちの想像を超えた大災害を経験しました。
あの激しい揺れの恐ろしさ、津波の映像の衝撃、それに続く原発事故への恐怖を知ったことによって、
それまでの私たちの平和の感覚はくつがえされてしまいました。
東日本そして日本のダメージはとてつもなく大きく、復興の道のりは険しく見えます。

しかし、新しい年が明けました。希望の新しい年の幕開けです。

今年は、「強い心」をもって、よりよい明日を築けるよう一日一日を大切に生きたいと思います。

皆様どうぞよろしくお願いいたします。