2012年1月31日火曜日

ホテル派VS別荘派

我が家は15年前に軽井沢に土地を買い、11年前に別荘を建てた。
 
別荘を建てるとき、妹からは別荘に行くたびに掃除したり、
ご飯づくりをするなんて面倒でいやにならないのかと心配された。
リゾート地へ行ったら、上げ膳据え膳でのんびり休みたい。
私の妹だけではなく、これが世の奥さま方の大半の意見らしい。

もちろんわからないではないけれど、夫や私にとっては、
どんな素晴らしいリゾート地でも、冷暖房完備のホテルでは
自然の美味しい空気を吸うことさえままならないのがどうしても
不満だった。ホテルでは落ち着かないし、楽しくないのだ。

だから別荘が完成してから、一度もお掃除やお料理を面倒と感じた
ことはなかった。簡素でも山の家のテラスで摂れる食事やコーヒーは、
どこのレストランやカフェよりも美味しく感じるのだ。くつろげる自分の
家のリビング空間にいて自然と一体になれる感覚こそが、私たちの求める
ものなのだろう。犬を飼うようになってからはますます別荘のありがたみが
増した。

一方ホテルが大好きな友人もいる。想像するにホテルという非日常的空間に
宿泊することが、旅というものの日常から離れた未知の経験、未知の発見の
楽しみの一部であり、ホテルはそのわくわく感を高めてくれるといった感覚だろうか。

もちろんリゾートライフを単純ににホテル派か別荘派で括るのは無理があるだろうし、
その両方を使い分けている場合もあれば、そのどちらでもない場合もあり、また
それぞれの生活環境によって事情も違ってくるだろう。

いずれにしても、あれから10年以上が経過し、私たち夫婦は別荘生活にピリオドを
打ち、別荘のあった土地に永住を決め込んでしまった。

先に紹介した妹夫婦は山中湖のログハウスの会員権を購入し、ホテルが
大好きと言っていた友人夫婦はハワイにホテルが管理するコンドミニアムを購入し、
それぞれがホテルと別荘の中間ともいえるリゾートライフを楽しんでいる。

2012年1月27日金曜日

ボクの名誉挽回

ブログを読んでくださったプシケーの実家のママさんから、プシケーの写真の感想が来た。

「ママさん、こんなブス男、はずれクジでごめんなさいね」と。

確かに、もともとゆるいお顔をしたイングリッシュセターの中でも、誰よりも皮がたるんでいる。
垂れたお目目はいつも赤目が出ているし、ほっぺ(唇)もダルダルと下がってしまりなく、その
せいか涎もすごい。

プシケーは九州で5人きょうだいの長男に生まれ、一番先に望まれて新しい飼い主さんの
お家にもらわれていったのに、おばあ様の強固な反対で泣く泣く手放さざるを得なくなり、
出戻ってきたという経歴の持ち主。
心配した実家のママさんが、イングリッシュセター愛好家のメーリングリストで、
とにかく好きで可愛がってくださる方にと里親募集をかけた。
名乗り出た里親希望者の中で、我が家が熱烈なラブコールを送り、里親の権利を見事
射止めたのだ。

プシケーのパパ、ブルックリンも、決してハンサム顔ではないが、一度見たら忘れられない
強烈な個性がある。惜しいことに、パパ、ブルックリンは不慮の事故で4歳の若さで
亡くなってしまったが、実家のママさんはブルックリンにメロメロだった。
そして、プシケーはこのパパのエッセンスを色濃く受け継いでいる。
だからママさんは、このブス男プシケーのどうしようもない可愛さを誰よりもよくご存知なのである。

とはいえ、プシケー君もたまには可愛い顔をする瞬間もあることの証明に、名誉挽回の写真を
アップさせていただきます。この写真は、トリミングに行ったときに撮られたもの。ネット上から
拝借した。




ボクの名誉挽回になったかな?

屋根裏に納戸が作れる!

今回現場を見に行って、思いがけない窓の交換も発生したが(カタログで注文した
窓が実際に見ると小さすぎた)、その一方予期せぬ収穫もあった。

2階の主寝室の奥に2畳から3畳の納戸が作れることになったのだ。

もともとこの中古住宅は普通の戸建て住宅に比べて屋根と天井が高くつくられていた。
その高い屋根を生かして、1階ダイニング(上に2階がない)は、梁を見せた吹き抜け
にしてもらっている。

でも、ダイニングに続くキッチンの天井高は2400mmで、その上の空間は
ただの屋根裏になるだけだ。

現場の柱を見ながらひらめいた。

「この空間をうまく利用できないだろうか?」

「屋根の一番高い部分なら、人が移動できるくらいの天井高を確保できるのでは?」

さっそく工務店の社長さんに打診すると、その場で図面を見ながら検討してくれ、
2階の主寝室の奥に納戸を作ることは可能だという。
しかも、気になる費用は、今余っている材料を使えば、大工さんの手間プラス
アルファくらいで何とかやりましょうと言ってくれた。

いぇーぃ! 

2F寝室 右の三角屋根の下のオープンな
スペースは1Fの屋根裏になる予定だった。
屋根の一番高い部分に納戸ができる!

収納はいくらあってもありすぎることはない。
家をすっきりと片づけておく為には収納スペースは必須のものだ。

やっぱり家づくりは愉しい。

2012年1月25日水曜日

東急ハーヴェストクラブ旧軽井沢

会員権を所有している友人のご好意で、今回東急ハーヴェストクラブ旧軽井沢に宿泊する
機会を得た。我が家はもちろん、犬と泊まれるお部屋を予約。


たっぷりした敷地に石とコンクリの重厚な建物が何棟か並んでいる中で、私たちが泊
まったのは、アネックス(別館)の一角にある戸建感覚のお部屋だった。フロントを通ら
ずに、建物の外から直接出入りできるようになっていて、車もドアの前(写真右手前の
スペース)に駐車できる。他のお客様と犬を会わせないための配慮だろうが、私たちも
便利でありがたい。

写真上のドアはいわば門扉ともいえるもの。ここを開けるとお庭があって(写真下)、ワンコ
の足を洗うシャワーも備えられている(冬場は水が凍結するので水栓が取り外されて
いたが)。



コンクリの中に閉じ込められるホテルというものが苦手な私たち夫婦にとっては、お庭が
あっていつでも外に出られるのがとても快適な空間だった。
飼い主がリラックスできたせいか、プシケーも家にいるときと同じくらいゆったりとくつろいで
いるように見えた。

露天風呂から雪景色を見ることもできたし、いい思いをさせてもらって友人に感謝です。

家づくりはスリリング

これまで家づくりに関して、かなり打ち合わせを頻繁に、また丁寧にしてきたつもりだが、
あわや取り返しがつかなくなる寸前に、修正できたことが何点かあった。
お互いの理解が違っていたことに気づき、抜けているものを発注したり、
逆に発注したものをキャンセルして別のものに変えてもらったり…。

それでも、工事の前ならまだ何とかなる。工事をした後に失敗に気づいたら?

今回、私自身が選んだ窓のサイズが小さすぎて、差し替えてもらう箇所が出てしまった。
まだ壁を仕上げる前だったから、どうにか変更が可能だったが、本当に危ないところ
だった。この失敗をよい教訓にして、最後まで慎重に進めていかなくては!

家づくりで、自分の思い描いたものが形になっていく過程は、よい意味でも悪い意味
でも、本当にスリリングだ。
施工業者にとっても、施主の希望通りの家が作れるかどうか、やはりスリリングに違いない。

2012年1月23日月曜日

現地打ち合わせ

南の庭から撮影

22日から1泊で軽井沢に打ち合わせに行ってきました。
軽井沢の街は銀世界で、普段より道幅が狭くなっています。
我が家の敷地もふわふわの新雪に覆われで、一歩歩くたびに脚が膝近くまで
埋まってしまいます。

雪に興奮したプシケーは、ハイテンションで白銀の庭をぴょんぴょん跳ね回り、
あっという間にお腹や脚に雪の玉をいっぱいくっつけてしまいました。




今回は、インテリアデザイナー氏が同行したため、打ち合わせも詳細にわたり、次々と
懸案事項が片づけられていきました。造りつけ予定の玄関ドアの高さと玄関内部の折り上げ
天井の高さの絡み、靴収納の収まり、部屋の中に露出する構造柱の仕上げ方法、コンセント
の位置、洗面所の棚のデザインやクローゼット内部仕上げなどなど……。

ひとつの小さなコミュニケーションミスも致命的な結果を招きます。念には念を入れて、
確認作業を進めていきます。

2012年1月20日金曜日

雪の便り

今日は天気予報に違わず、ここ川崎市でも雪が降りました。おお寒っ!

工務店の社長さんから、ここのところ毎日打ち合わせの電話が入って、
今日は軽井沢でも久しぶりに15センチから20センチの積雪があったとのこと。
例年は12月半ばを過ぎる頃から雪景色になる軽井沢も今年はなぜかずっと
降らなかったので、今冬初めての本格的な雪でしょうか。


雪景色の山の家(2007年)


中軽井沢の家に引っ越したら、こんな雪の日は薪ストーブの前に座って、
火がはぜる音とほんわりやさしい暖かさにうっとりしながら春のお庭を夢見て、
球根や新しいバラの苗をカタログから選んだりしていることでしょう。

その薪ストーブの床に貼る天然石とフローリング材の見切りについて、我が家の「お抱え
デザイナー」から真鍮のバーを埋め込んで5ミリほどの薄さに仕上げたいという要望が
出されました。
工務店さんからさっそく確認に収まり図のスケッチが送られてきました。施主としても、
仕上がりの洗練度を考えれば、多少のお値段アップは致し方ありません。

ひとつひとのディテールも妥協しないで決めていく、これが我が家の若きデザイナーのやり方です。
つき合ってくれる工務店さんに感謝。

2012年1月18日水曜日

中古住宅という選択

直感で即決してしまった中軽井沢の家だが、何が決め手だったかと言われれば、
その土地に立って自分がそこに住んだことを想像してみたとき、心の中に
どれだけの広がり、可能性、豊かさを感じられたかということに尽きるような気がする。


購入した中軽井沢の中古住宅

建物自体は、昭和の終わりに建てられ、しかも夏仕様の別荘だったから、かなり手を入れなければいけないことは予想がついた。それでもシンプルながら、檜の床材、ヒバの壁材を使った自然素材の家で、 間取りも工夫次第でうまく変えられそうな予感があった。

土地代としては予算超過だったこの物件も、中古住宅を全面改装すれば新築ほどの費用はかからないだろうから、採算が取れる。いいリフォーム業者さえ見つかれば、きっと理想の家が建てられるのではないか。こう考えて、私たちは人生第2章の家づくりをスタートした。

しかし、当物件購入が5月の末で、実際に工事の契約にこぎ着いたのは11月に入ってから。思い通りの家をつくれそうと思える施工業者に出逢うまで、かなり時間がかかってしまった。

2012年1月17日火曜日

家の移り変わり

私たちは、これまで何回家を買ったり借りたりして引っ越してきたのだろう。
結婚と同時に購入した東京都大田区の中古マンションから始まり、板橋区の新築マンション、アメリカペンシルバニア州のタウンハウス2軒、そして現在の川崎市多摩区の新築マンションへと何回も引っ越しをしてきた。そして、初めて戸建を建てたのが、旧軽井沢の山の家だ。

昨年、今回が多分最後になるであろう「終の棲家」を建てようと土地を探しているうちに、中軽井沢の中古住宅に出合った。この家と周辺の環境を見て、新築の計画を中古住宅の全面リフォームに切り替えようと一晩で決心したことになる。

それまでに追分を中心にいくつかの別荘地を見てきたが、なかなかこれと思える土地に出合えないでいた。ひとつには、旧軽井沢の山の家から見る景色があまりに壮大で開けていたから、区画された平坦な四角い土地というものになかなか気持ちがスイッチできなかったせいだろう。山の家からの眺めは、軽井沢の街全体があたかも自分のものであるかのような錯覚を起こさせる気持ちよさだった。



山の家から見た初日の出



山の家では、外とも内ともつかない中間ゾーンであるテラスで、自然の風を感じながら朝のコーヒーを飲んだり、夕涼みをしながら星のまたたきを見上げたりするのが、私たち夫婦は何より好きだった。

でも、山の斜面に建つ家では、庭にできる平らな土地もほとんどなく、冬は山道が凍結して危険だし買い物にも便利とは言えず、終の棲家にはふさわしくないことは明らかだった。

結局この山の家は、昨夏、絵にかいたように素敵な若いファミリーがバラのお庭ごと気に入って買ってくださり、やはりこの家からの眺めの虜になって頻繁に通っていると聞いている。

中軽井沢の終の棲家は、実はこの山の家と、川崎の自宅マンションを足して2で割ったような間取りと雰囲気の家になる予定だ。私たちのふたつの家に対する愛着は、こうして新しい家に引き継がれることになる。

2012年1月14日土曜日

バラのブーケ

バラのことを書き始めたら、止まらなくなってしまった。

先日のフラワーアレンジメントの課題もバラのブーケだった。
バラの花首を短く切ってワイヤー処理をして束ねるブーケで、
オアシスを使わないから一日のはかない命だ。

それでも夜になると一晩たっぷりの水に朝まで浸して、もう3日も持たせている。



今回先生が用意してくださったピンクと赤紫のバラ、形もゴージャスで素敵だが、
赤紫の方は何と私の好きなダマスクモダンの香りが濃厚にするではないか!

切り花の品種にしては極めて珍しいけれど、ありとあらゆる形と色を
追及してきた切り花のトレンドも行きつくところまで行って、
これまで犠牲にしてきた香りを復活させているのだろうか。
花持ちもいいし、本当に優れたバラだ。

名前は、ドラマチックレイン?だったと思う。初めて出逢ったバラだ。

切り花ではあまり試したことがないので、成功するかわからないけれど、
挿し木にしてみた。


バラ会新年会

新年そうそう引いた風邪はウィルス性腸炎と言われ、思いのほか長引いてしまった。

でももうすっかり回復^^。今日は地元の所属バラ会の新年会に出席してきた。
鴨や牡蠣などの芸術的な日本料理の数々(おしゃべりばかりで思い出せない!)を
目で愛でて、舌で味わってきた。

このバラ会に入会して15年。
バラ会の行事を中心に私の一年のスケジュールが回り、
私の心の拠り所であり、生活の励みだったけれど、
軽井沢転居後は、残念ながらこれまで通りのかかわり方はできなくなる。
昨年秋から会のお仕事は会員の皆さんに分担していただき、
今日の新年会もニューメンバーが張り切って企画してくれた。
お客様気分で参加した私は、くじ引きで一等賞を引き当てる。
何と年初から幸先がいいこと!

1等賞のスウィートなバラの絵の時計

 参加者全員にはずれくじなし。賞がつかなかった人には、手作りの木製ラベル2枚。
 バラの名前を書いて、地面や鉢に挿すラベルだが、グリーンにペイントされた木のラベルに、
丁寧にもトールペイントで小さなバラの絵が描いてある。2人の合作だそうだ。
欲張りな私はそれも欲しかったわ~!

中軽井沢の新しい家ではまた一から庭づくりを始める。
旧軽井沢の山の家でも、ここ川崎市のマンションの専用庭でも、それぞれ制約があって、
思い切りバラ栽培ができたとは言いがたい。
今度こそ、広い平坦な土地で思う存分バラづくりができるだろうか…。

どうしてももう一度育てたいバラ、そして新しく育ててみたいバラ、ただ今検討中だ。

山の家のバラは、バラ会の尊敬する師匠がくださった白のシティー・オブ・ヨークと
赤のパーク・ディレクター・リガーズがメインのバラになった。


花壇左の白バラ シティーオブヨークとロサフィリペス
花壇右の赤バラはバロンジロードラン もう一度育てたい!


シティーオブヨーク

その師匠が嬉しいことに今度はスタンダードを分けてくださるとおっしゃる。
何色がいいですか?と聞かれ、私はやはり白か赤をお願いしますと答えた。
軽井沢の緑にはこの基本的な色が一番映える気がするからだ。


新しい庭づくり、未知の私の庭、まだ構想はまとまらないけれど、
軽井沢の自然に融け込む、少し和の雰囲気の落ち着いた庭にしたいと願っている。

2012年1月5日木曜日

新年の建築工事は明日から

子どもたちが帰ってから、どっと力が抜けたのか、昨日から風邪を引いて寝込んでしまった。

家づくりの方は着々と進んでいる。工事の再開は明日からだが、工務店さんからは、窓の位置決め、浴室のタイルの決定、キッチンの天板のサイズ決めなどについて、次々と連絡が入ってくる。 照明の配線図も確認しなくてはいけない。

設計図が出来上がるまでの最初の段階では、施主の思いや希望を工務店さんに伝えるのも真剣勝負で、ひとつのことが形になるのを見極めるまで気を抜けなかったが、少しずつお互いがわかってくるにつれて、コミュニケーションもスムーズになり、よい家をつくるためにお互いが協力者となっているのを感じる。ここをどれだけスムーズにできるかで、家づくりは違ってくると思う。

完成まであと数ヶ月。軽井沢はそろそろ雪の季節に入る。

2012年1月4日水曜日

家族の時間

今年は初めて娘のいない年越しをした。昨年12月に入籍、今年の春には結婚式を控えている娘。
大晦日、元旦を三重県の婿殿の実家で過ごし、2日の夕方に我が家に2人で来てくれた。
ぱっと家が華やぎ、プシケーも大騒ぎして2人を熱烈歓迎。
 
iphoneのアプリを使って
娘婿殿がさっと指でスケッチしてくれたPちゃん

大家族の中に入って、初めての「長男の嫁」を奮闘してきた娘、疲れがにじみ出ている。その娘を気遣って、何かと足りなさをカバーして回ってくれていたという婿殿。やさしくしてくれて感謝です。
2人の仲のよさを見ていると本当に幸せな気持ちになります。

でも軽井沢への引っ越しが近づくにつれ、ちょっとおセンチになり始めている私。
この家でのお正月もこれが最後なんだわ。25年近く子どもたちと過ごした家です。

3日の夜は、久々に娘がピアノを弾くと言いだし、それにつられて、息子もオーボエを持ち出してきた。2人とも久々のアンサンブルなので、昔みたいにはいかないけれど、それでも母は嬉しくて涙が出そうになる。かつて2人の音楽を聴きながら、子育ての苦労が報われる喜びを噛みしめていた気持ちが蘇ってくる…。

ピアノを弾く娘の横に寄り添って座ってくれている私たちの新しい家族……、我が家の歴史の新しいページが開かれました。

2012年1月1日日曜日

新年おめでとうございます




2011年は、東日本大震災と原発事故という私たちの想像を超えた大災害を経験しました。
あの激しい揺れの恐ろしさ、津波の映像の衝撃、それに続く原発事故への恐怖を知ったことによって、
それまでの私たちの平和の感覚はくつがえされてしまいました。
東日本そして日本のダメージはとてつもなく大きく、復興の道のりは険しく見えます。

しかし、新しい年が明けました。希望の新しい年の幕開けです。

今年は、「強い心」をもって、よりよい明日を築けるよう一日一日を大切に生きたいと思います。

皆様どうぞよろしくお願いいたします。